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大阪高等裁判所 昭和52年(ネ)695号 判決

控訴人 応谷平八郎

被控訴人 株式会社幸福相互銀行

主文

原判決を取消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

一  控訴代理人は、主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

二  当事者双方の主張および証拠関係は、次に付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、ここにこれを引用する。

1  控訴人の主張

(一)  控訴人のヤマト株式会社の取締役就任は形式を整える名目上のもので実質を伴わなかつたものである。すなわち、

(1)  熊木圓證が控訴人に取締役就任を要請したのは、熊木の完全なワンマン会社であるヤマトの取締役の員数を満たし形式を整えるだけのものであり、したがつて控訴人でなくとも誰でもよかつたのであるが、控訴人が選ばれたのは単に控訴人が社員中で最年輩であつたという形式的な理由によるものにすぎない。

(2)  控訴人は製造部長であつたが、ヤマトには経理、販売、製造の各部があるので、控訴人が熊木に次ぐ要職にあつたということは言い得ず(給料その他経済的処遇においても平社員と同様で、部長としての処遇は全くなかつた。)、また、ヤマトは熊木のワンマン経営であつたため、控訴人は製造、製品の管理面のことについて日常熊木と相談しつつ仕事を進めることはできず、取締役としての業務である会社の経営状況について熊木に相談することは全く不可能であつた。

(3)  熊木が倒産直前控訴人を呼んで資金繰りにつき相談を交わしたような事実は全く存在せず、また、熊木が銀行支店長の自宅へ交渉に赴く際、控訴人に責任者として同行を求めたというような事実もなく(もし仮に控訴人が責任者として熊本とともに銀行支店長の自宅に赴いたとすれば、控訴人は熊木とともに同自宅で支店長と会い、ヤマトの資金繰り等につき相談している筈である。)、熊木が控訴人を同行したのは、熊木が同支店長の自宅で交渉中、駐車違反にならないようにするため同行の車内に控訴人を留めおく必要があつたからにすぎない。

原判決の事実認定は証拠に基づかずしてなされたものであつて違法である。

(二)  控訴人のような代表権のない取締役が監視義務を負うとしても、他の取締役の業務すべてについてその監督権限を行使することは事実上不可能であり、法はかかる実行不可能な業務を強制していると解することはできないから、取締役は他の取締役の任務違反行為のすべてにつき監視義務違反の責任を問われるのではなく、その前提要件として、取締役会が開催されこれに上程された事項については格別、他の取締役の業務活動の内容を知つているか、もしくは容易に知ることができ、かつ、右業務活動の内容を知つていたならばその取締役の任務違反行為を容易に阻止することが可能であるという事情が存在する場合に限つて責任を問われると解するのが、商法二六六条ノ三第一項前段において「悪意又ハ重大ナル過失」を要件としている法文の趣旨に沿うものである。

本件においては、ヤマトは設立以来倒産に至るまで社長熊木が一人で経営方針を決め、他の社員を指示して自らの思いどおりに動かす、いわゆるワンマン経営のもとにあり、控訴人は名義上の取締役としてもつぱら熊木の指示どおりに動く受動的立場にあり、しかも正式に取締役会と銘打つた会合が開かれたこともなかつたから、会社運営について参画することは事実上不可能であり、製造部長として製造および製品の管理の仕事に携わつていただけ、会社の経営状況、とくに資金繰りについては全然関与しておらず、熊木あるいは経理担当の下酔尾から経理内容を聞かされたことはもとより会計帳簿、財務諸表を見せられたことも全くなく、また、これを見る機会も与えられていなかつた。したがつて控訴人は熊木および下酔尾の被控訴人に対するにせの決算書の作成提出等による融通手形の割引取引というような不正な業務執行を知らず、また、全く知るすべもなかつたというべきであり、控訴人には監視義務違反の事実は存在しない。原判決は法律の解釈適用を誤つた違法がある。

2  証拠関係〈省略〉

理由

一  当裁判所も、被控訴人の控訴人に対する請求のうち、被控訴人欺罔による不法行為に基づく損害賠償請求は失当であると判断するものであつて、その理由は、原判決理由(原判決一一枚目裏三行目から同三一枚目表一二行目までの控訴人関係部分)中に説示するとおり(ただし、原判決一三枚目表九行目から一〇行目に「の一ないし四」とあるのを削除する。)であるから、右理由記載をすべてここに引用する。

二  そこで被控訴人の控訴人に対する商法二六六条ノ三第一項に基づく請求について考察する。

1  控訴人が昭和四五年八月二九日以来ヤマトの取締役であつたことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第二六号証の二、第二七号証の一、二、原審証人熊木圓證の証言ならびに原審および当審における控訴人(原審は第一、二回)本人尋問の結果によると、次の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。

(一)  ヤマトは創設以来倒産に至るまで熊木が一人で経営方針を決め、他の社員に指示して自らの思いどおりに動かす、独断専行の経営のもとにあり、熊木とともに最も古参の社員である下酔尾政治(原審被告、昭和二八年九月ころ大和ゴム被服株式会社当時に入社)、控訴人(昭和三九年五月一日入社)その他の幹部社員も、もつぱら熊木の指示どおりに動く受動的立場にあつた。

(二)  熊木は昭和四五年八月下酔尾および控訴人に対し、下酔尾については最も古参であること、控訴人については社員中で最も年輩(当時五二歳)であることから、「取締役の員数を揃えるために必要であり、決して迷惑をかけないから、取締役になつてほしい。」と頼み、下酔尾および控訴人は(控訴人は一たんは固辞したもののことわりきれず)これを承諾して取締役に就任した。

(三)  控訴人は取締役に就任後も、就任前に較べて給与面での待遇に変りはなく、製造部長として経理部長の下酔尾に次ぐ地位にあつて、販売部長の米田実とともに要職にあり、その担当するゴム引布雨衣等の製造、製品の管理面のことについて日常、熊木と話す機会があつたとはいえ、それは報告、事務連絡程度を出ず、もつぱら熊木の指示どおりに業務を遂行してきたにとどまり、とりわけヤマトの経営状態、資金関係その他経理面については、取締役会が開かれたことが全くなく、取締役として熊木あるいは経理担当の下酔尾から相談を受けたことも、経理内容を聞かされたことも、決算期に会計帳簿、財務諸表に目を通したことも全くなかつた。

(四)  控訴人は尋常高等小学校卒業の学歴しか有せず、ヤマト入社前の昭和三四年ころから約五年間は妻の経営する麻雀荘を手伝い、それ以前は個人で自転車の修理販売業を約一〇年間経営していたが、その間、銀行から融資を受けたり、当座取引や手形、小切手取引をしたりした経験もなく、帳簿をつけたことはもとより、帳簿を見る知識も持ち合わせておらず、ヤマトの取締役に就任後も名目上の取締役になつただけで、取締役としての仕事をしなくてもよいと考えており、取締役の責任、義務についておよそ認識がなかつた。

以上の事実が認められる。

2  もつとも、前掲各証拠によると、控訴人が親威や知合いの者を多数ヤマトに就職させ、これらの者がまじめに勤めており、熊木がこの点で控訴人を高く評価し、このことが控訴人に取締役就任を要請した一つの動機となつていること、熊木がヤマトの資金繰りにつき危機的状態に追込まれ、倒産(昭和四六年一一月五日)直前の同月三日(休日)控訴人に出社させて自動車への同乗を求め、銀行の支店長の自宅数か所へ交渉に赴いたが、その際控訴人としてもヤマトの経営が苦しくなつてきており資金繰りに窮していることを感じとつたことを認めることができ、これに反する証拠はない。しかしながらこれらの点を考慮に入れても、前記認定のヤマトの経営の実態、熊木の支配のもとにあつては、いまだもつて控訴人の取締役就任が実体を伴つたもので、取締役の員数を満たし形式を整えるだけのものでなかつたと断定することもできず、控訴人が名目上の取締役としての色彩のきわめて濃いものであつたことを否定できない。

3  ところで、取締役の代表取締役の業務執行について監視義務を負うか否か、監視義務を負うとしてその範囲についての見解の岐れるところであるが、代表権限を有しない取締役(いわゆる平取締役)は、取締役会の構成員として取締役会を通じて会社の業務執行につき監査する地位にあるから、会社に対し取締役会に上程された事柄についてだけ監視するにとどまらず、取締役会外でなされる代表取締役の業務執行一般につきこれを監視する義務を負い、必要があれば、取締役会を自ら招集し、あるいは招集することを求め、取締役会を通じて業務執行が適正に行なわれるようにする職務を有するものと解される(最高裁判所昭和四八年五月二二日第三小法廷判決参照)。

そうすると、平取締役は取締役会に現われない業務には関与し得ないから、代表取締役や他の取締役が、取締役会の決議に基づかずにした違法行為について、第三者の側で〈1〉その責任を追及しようとする平取締役が代表取締役や他の取締役のした右違法行為を知つていたこと、または〈2〉相当の注意をしなくても容易に知ることができたのに漫然と看過したこと、したがつて〈3〉取締役会で事前監視が可能であつたにもかかわらず右平取締役が監視権発動に必要な処置をしなかつたことについて故意または故意に準ずべき過失(重過失)があつたことを、第三者において立証すべき責任があるものといわなければならない。

本件についてみるに、(1) 被控訴人との取引につき、代表取締役である熊木が交渉に当つたが、その過程で、被控訴人に対しヤマトの経営が倒産の切迫したきわめて劣悪な状態であり、割引を受けた手形を満期に支払う能力もなかつたのに、にせの決算書、虚偽の試算表などを見せることにより、ヤマトの経営が順調であるように思い込ませ、また、商品取引の伴わない手形であつて名義人によつて満期に確実に支払を受けられる見込みもないのに、これを商業手形であるように思い込ませて割引させたものであり、右行為は熊木の代表取締役としての業務執行としてきわめて不正なものであり、右不正な業務執行によつて、被控訴人に右手形を割引かせ、後にこれが支払われなかつたことにより、割引金相当の損害を蒙らせたものであること、(2)  被控訴人との交渉に至るまでのヤマトの資金繰りのための銀行との交渉は、熊木と下酔尾において切りまわし、昭和四五年ころ以降においては、熊本と下酔尾とが共同して、とくに顕著に銀行との交渉において、ヤマトの巨額の累積赤字の存在などの真の経営状況を隠し、にせの決算書を作成して提出することにより、各銀行にヤマトの経営が順調であると思い込ませ、また、融通手形など商品取引の伴わない手形を商業手形であると思い込ませて各銀行をして手形割引に応じさせる行為を繰り返えしていたのであつて、被控訴人との取引における不正な業務執行はこの延長線上にあつたことはいずれも前記引用にかかる原審認定(原判決理由二1)のとおりであり、控訴人が熊木らの右不正な業務執行行為に悪意または重大な過失によつて加担したものとは認められないとはいえ、ヤマトの経営全般につき取締役としてその実情を調査しようとしたことも、熊木に積極的に意見を述べようとしたこともなかつたことも右認定(原判決理由二3)のとおりである。したがつて控訴人が取締役の地位にありながら、会社の業務執行に積極的に意を用いなかつたため、熊木らの右のような不正な業務執行を発見してこれを阻止することができなかつた点において、監視義務違背があつたようにみられないではない。しかし、その発見が控訴人にとつて容易であり漫然と看過した事実を認めるに足る証拠はない。さらに、ヤマトは熊木一人がその経営の実権を掌握し、他の取締役ら社員の容喙を許さない熊木の独断専行による経営の会社であり、経理担当の下酔尾は別として、控訴人が名目上の取締役としての色彩のきわめて濃いものであつたことは前認定のとおりであるから、控訴人が取締役として、取締役会の開催を要求するなどして、より積極的に会社業務の遂行に意を用いようとしたとしても、取締役会の開催は困難であつて、被控訴人との取引開始に至る前に、右のような不正な銀行取引の実状を発見し、被控訴人との新たな取引における不正な業務執行を取締役会の構成員として阻止することはできないのみならず、前認定のように熊木、下酔尾が共同して不正行為をしている以上、控訴人一人だけで取締役会の監視権を適正に行なうことはきわめて困難であつて、これを阻止しうるすべもなかつたというべきである。そうすると、控訴人には、取締役会の構成員として、抽象的に監視義務があること自体否定することはできないにしても、少くとも取締役会の構成員として監視義務を行なうについて軽過失はあつたにしても、商法二六六条ノ三の規定にいわゆる重過失があつたものと認めることは困難であると判断するのが相当であるから、控訴人は同条一項前段に基づき、本件各手形割引によつて被控訴人が被つた損害を賠償する義務はないものというべきである。

4  さらに、被控訴人は控訴人に対し同法一項後段に基づいても損害賠償を求めているが、控訴人は被控訴人主張の計算書類などの関係書類の作成に全く関与していないことは前認定のとおりであるから、控訴人にかかる損害賠償義務がないことは明らかである。

三  以上の次第で、被控訴人の控訴人に対する本訴請求は、いずれも理由がないから失当として棄却すべきところ、商法二六六条ノ三第一項前段に基づく損害賠償請求につきこれを認容した原判決は失当であつて、本件控訴は理由があるから、原判決を取消して被控訴人の請求を棄却することとし、民訴法三八六条、九六条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 山内敏彦 田坂友男 高山晨)

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